こんにちは。孝太です。
今回は、どうしてオレサマアイランド計画というネーミングなのかについて書いておこうと思う。
計画について簡単に言うと、自分の持っているイメージを実現させるのを楽しむということである。この言葉のイメージを借りると自分の理想の土地を作り上げるというようなことに感じがちだが、土地というものすらこだわらない。作り上げるというよりは、自分がその場に立っている姿が現実になるのを楽しみながら待つという方がしっくりくる説明のような気がする。
昔考えたネーミングなので少しダサさが残っているがそれでよしとしている。
とはいえ、まずはイメージが分かりやすいので土地を例として考えてみたいと思う。土地に対する理想はもちろん人それぞれだと思うし、その人の人生のステージでも変わることがあると思う。若いうちは豪勢な3階建てを立てたいと思うかもしれないし、年を取ってくると木造の平屋がいいと思うかもしれない。趣味があれば、趣味ができる空間を作りたいと思うだろう。なんにせよ、自分がイメージする土地や建物を作り上げていき、将来のある日にその形が達成できた時、密かに嬉しい気持ちになると思う。それは、土地でなくとも同じだと思う。
将来のある日、そこに佇む自分を想像した時、これでいいのだと満足している自分がそこにいるかどうかということは、人生の充実に影響を与えるもののような気がする。そのイメージが実現する瞬間のために、その環境の設定の実現のための準備をし、その瞬間に向けて現実に動かしていくということが実行となるわけである。
その日の設定が実際にどうなっているかは、今の自分には分からないことだ。今までの人生でもいつも未来には想像もつかないびっくりするようなことが起こってきた。自分がどういう人生を歩み、どういう運と縁でその瞬間を実現するかは、その寸前まで流動的であると思う。ただ、今脳裏に浮かぶその瞬間に見えてるイメージに対し、仮の設定を最大限に準備していくことが実現に向けて楽しむ上で大切なことのような気もする。実際は全然違う設定でそのイメージは実現するかもしれないというところも楽しいところである。
この計画のもととなっている一枚のイメージ画像の中では、初老の自分が土の道に佇み、右手と左手に緑が広がっている。片方は緑が盛り上がり、少なくとも片方はみずみずしい恵みのある木々のようだが定かではない。静かにため息をつき、これだったのか、これでよかったのだと思っている自分がいる。
もう分かっていただいたかもしれないが、オレサマアイランド計画というのは、計画というのは名ばかりで、ある意味、計画のない計画のようなものなのである。
大きくとらえれば、土地のみにかかわらず、日々現れては消えていく可能性を一つ一つ丁寧に見つけ、必要なものを拾い上げ、大事に育てていくことが最大限できることである。具体的には、結果として後ろに残るものもあるだろうし、全くの勘違いだったこともあるかもしれないが、いずれにせよ最終的な到達地点は、”その瞬間”である。
想像もしないことが起きてその瞬間を迎えることを楽しみにしながら、今は仮設定でも具体的にできることを進めていければいいと思う。
この”オレサマアイランド計画”では、一見関係ないように見えることでも、そういう些細な仮設定に役立つかもしれないことならば、もちろん実際はそうでなくとも、コツコツと情報を放ちながら進めていきたいと思う。
長くなってしまったが、このくらいにしておく。